勇気ある女性(ひと)
12〜3年前の風薫る金曜日夕方のことです。
JR関内駅は待ち合わせの人であふれていましたが、あるスポットだけすっぽりと無人の空間となっていました。
なんだろう。近づくと空間の真ん中に一人のおじさんが立っており、そのおじさんから1〜2メートルの等距離を保った人たちが、円状におじさんをとりまいていました。
そのおじさんは、この駅周辺で『ビッグイシュー』という雑誌を販売している人でした。いつもなら元気な声で道行く人に宣伝をしているのに、このときは、うつむきかげんにときどき声を出してはいるものの、まわりのスーツ姿の若者たちのエネルギーに圧倒されて、委縮しているさまがみてとれました。
ならばおじさんに少しでも元気を出してもらおうと、前日につづいてその雑誌を買うべく、人をかき分けおじさんに向かおうとした、その時です。ぼくの右うしろから、30代半ばの女性が、8才くらいの女の子と一緒に、すうっとあらわれ、おじさんの前にやわらかに立ち、何やら話しかけたのです。
その瞬間、騒音をまき散らしていた若者たちはたちまちに黙り込み、一斉にその3人を凝視しました。数十人の他人から、しかも至近距離の360度から、それこそなめられるように見られるなんて相当な緊張ものです。
でもその女性は、そんなことてんで気にかける風もなく、なじみの八百屋さんで大根でも買うように、おじさんから雑誌を受けとり、その代金を支払い、そして笑顔でおじさんにことばをかけ、やはり、すうっと去っていきました。
この間、娘さんらしき女の子は、おじさんとその女性を、そしておじさんをとり囲む人たちを、大きな眼で、しっかりと見つめ続けていました。
ふたりがいなくなってほどなく、ぽかんとしていた若者たちは、ふたたび騒音まきちらす烏合の衆へと戻りました。
わずか数十秒のできごとでした。いまもあの場面をよく思いだします。そんなとき、いつもからだの芯から熱くなってくるのを感じます。そして、あの素敵な、勇気ある女性(ひと)に負けずにがんばらなくては、との思いがわきあがってくるのです。
2018年5月10日
矢野 清
※「ビッグイシュー」→「The Big Issue Japan」
ホームレスの人の仕事をつくり、自立を応援する雑誌。
販売額の約5割が、販売者の収益になります。 (350円→180円) 価格2018年5月現在
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